19年 | 東京大学を帝国大学と改称。帝国大学運動会設立。弓術は漕艇、球戯、柔道などとともに徐々に広がる |
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22年 | 本多利實翁、『弓道保存教授及演説主意(一名弓矢手引)』を著し、弓道の再興に本腰 |
24年 | この頃、東京帝国大学弓術部創立。道場は現在の医学部付属病院のところにあったと見られる。第一高等中学校の反求会、校友会に加入、弓術部と改称 |
25年 | 利實翁、一高弓術教授に就任(12月4日) |
33年 | 利實翁講述・長谷部言人氏筆『弓學講義』発刊(7月) |
35年 | 三四郎池そばに道場新設。 弓術部再興発会式(5月) 利實翁、東京帝国大学運動会弓術部師範(5月3日) 利實翁著『弓道大意』発刊 |
40年 | 『日置流竹林派弓術書』の発刊計画(11月) |
41年 | 東京帝国大学弓術部編『日置流竹林派弓術書』を発刊(4月27日)。利實翁が註を書き、坂本森一、碧海康温氏らが中心になって編集、発行者は取締の西山久二郎氏 新道場が御殿下運動場南側に完成、矢場開き(11月22日) この頃、利實翁が弓術書を元に学生に講義 |
42年 | この頃から大平善蔵、石原七蔵、阿波研造氏ら弓界の実力者が相次いで利實翁の門をたたく |
5年 | 利實翁、宗家継承について覚書作成(12月19日)。翁の孫・利時氏が成長するまで家元の権限を弓術部が預かる内容 |
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6年 | 利實翁、覚書など東京帝国大学に預託(1月9日) 利實翁、東京・浅草で墓参の帰途、市電にはねられ逝去(10月13日) 生弓会発足 |
7年 | 第 1 回東京・京都帝国大学定期戦( 12 月 23 日)。髙木棐(たかぎ たすく)氏 20 射皆中、翌年も皆中 |
8年 | 屋代三氏が師範に |
10年 | 大内義一氏が師範に |
11年 | 屋代三氏著『竹林射法大意』(生弓会)発刊(7月) |
12年 | 本多利時氏が本多流宗家を継承(4月) 大日本弓道会編『本多利實先生講述・弓道講義』発刊(5月25日) 本多利時二世宗家が東京帝国大学学生弓術教導に(12月) 東京帝国大学で家元権限返還の儀式と利實翁追善会(12月9日) |
13年 | 利時宗家が一高弓術師範に(10月17日) |
14年 | 社団法人生弓会発足(10月)。 理事長に関屋龍吉氏、宗家顧問に碧海康温、髙木棐氏 東大が第 1 回全国高等学校弓道競射大会(インターハイ)を開催( 12 月) |
4年 | 村尾圭介氏著『弓道』(目黒書店)発刊(5月25日) 生弓会編『尾州竹林派弓術書』発刊(6月28日) |
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5年 | 日本学生弓道連盟設立(4月29日)。 関東支部長に村尾圭介氏 |
6年 | 第1回日本学生弓道選手権大会で東大が準優勝(10月) |
10年 | 三四郎池の上に現在の弓道場完成。宇野哲人部長が記念手拭い用に『繹志』の墨書。戦後に矢内原忠雄総長が「育徳堂」と命名 |
11年 | 『歴史公論』 3月号に碧海康温氏著「本多流弓道」、村尾圭介氏著「弓道の体育的価値と徳育的価値」(3月) 大内義一氏著『学校弓道』(成美堂)発刊(12月18日) |
12年 | この頃、部長は我妻栄氏 『弓道講座』(雄山閣)3巻に碧海康温氏著「本多流弓道」、大内義一氏著「弓道の目的」 |
13年 | 『弓道講座』5巻に高木棐氏著「弓術の医学的常識」、1巻に村尾圭介氏著「体育としての弓道」、7巻に同氏著「女子の弓道」 |
14年 | 『弓道講座』 13 、 14 巻に本多利時宗家著「中学集講義」上下、2、 15 巻に戸倉章氏著「弓矢に関する植物」 |
15年 | この頃、部長は山本武蔵氏 『弓道講座』 18 巻に本多利時宗家著「学校弓道の現況」 村尾圭介氏著『弓射天覧の史実と弓界への期待』(目黒書店)発刊(6月15日) |
16年 | オイゲン・ヘリゲル氏著『日本の弓術』(岩波書店)の解説に小町谷操三氏著「ヘリゲル君と弓」(3月) |
《太平洋戦争》 16年12月8日~20年8月15日 | |
20年 | 本多利時宗家逝去(10月6日)。 髙木棐氏が利生三世宗家の後見人として宗家権限を預かる。 |
21年 | 全日本弓道連盟(全連)発足(11月1日) |
23年 | 全連会長に樋口實氏(12月19日) |
24年 | 日本弓道連盟創設(5月22日、後に全日本弓道連盟)。会長に樋口實氏 |
27年 | 東大弓術部復活を運動会に報告(2月) 弓術部復活の記念射会(10月)、師範に髙木棐氏、部長に我妻栄氏 |
28年 | 戸倉章氏が師範に(駒場)、体育正課の講師に この頃、弓術部後援会が発展的に赤門弓友会に 髙木棐氏、日本弓道連盟副会長に就任(5月2日) 日本学生弓道連盟設立(5月6日) 第1回全日本学生弓道選手権大会(7月11~13日、奈良県橿原弓道場) 東京大学・京都大学定期戦が復活(11月23日、東大で)160射59対80中で東大勝利 髙木棐氏、日本弓道連盟機関誌『弓道』12月号から「本多流」を6回にわたって連載 |
29年 | 第2回全日本学生弓道選手権大会(7月24、25日、國學院大)。大会会長に我妻栄氏。男子団体で準優勝 都学弓連リーグ戦男子Ⅰ部昇格 |
30年 | 髙木棐氏が『弓道教本』(全日本弓道連盟)2巻に本多流解説(3月5日) 駒場弓道場落成記念射会(5月) 都学弓連国公立大会開始、男子団体で優勝 第3回全日本学生弓道選手権大会(7月9~11日、京都・濟寧館)。大会会長に我妻栄氏 リーグ戦男子Ⅱ部降格 |
31年 | 第4回全日本学生弓道選手権大会(7月14~16日、大宮市)。大会会長に髙木氏 戸倉章氏著『弓矢に生きる』発刊(11月) |
32年 | 『繹志』創刊(11月15日) 部長に山内二郎氏 |
33年 | 部長に内藤元男氏(4月) |
35年 | 師範に寺嶋廣文氏 |
36年 | 国立7大学戦開始、男子優勝(7月) |
38年 | 本多利生氏が本多流宗家を継承(3月) 髙木棐氏が宗家権限返還式(6月30日、洗心洞) 全日本学生弓道選手権大会男子団体で4位(7月23日) 三世宗家襲名披露射会(10月13日、三鷹・寂光洞)、生弓会活動再開 全日本学生弓道連盟会長に藤岡由夫氏 |
39年 | 育徳堂で本多流宗家継承記念射会(1月19日) 髙木棐氏逝去(5月23日) |
40年 | リーグ戦男子Ⅲ部降格 |
42年 | 京大戦で宮下敏行氏が20射皆中(11月) |
43年 | 小笠原清信、白石暁両氏著『写真と図解による弓道』(大修館)発刊(3月20日) 東大紛争激化、京大戦中止 |
44年 | 東大紛争で入試中止 寺嶋廣文氏著『本鷹の矢』発刊(3月10日) 『現代弓道講座』(雄山閣)5巻に小野忠彦氏著「スポーツ医学と弓道」、武田豊氏著「職場と弓道」 |
45年 | 育徳堂で第1回本多流学生弓道親善射会(12月13日) 戸倉章氏逝去(12月21日) 寒稽古で阿久津光志氏10640射(6135中、的中率0.577)、村松彰氏10140射(80503中、0.839)を記録 |
46年 | 寒稽古で武村文雄氏が11000射(8538中、的中率0・776)を記録 |
47年 | 本多利生宗家が弓術部宗家師範に、駒場師範に内山康一氏(2月) 森岡正陽氏著『紫陽齋射学論集』発刊(2月15日) 全日本学生弓道連盟会長に樋口實氏 リーグ男子Ⅳ部降格 武村文雄氏の高的中率、皆中数に弓術部特別賞 |
48年 | 女子部、都学弓連に加盟、リーグⅤ部スタート リーグ戦男子Ⅴ部降格 京大戦で北野嘉幸氏が皆中(11月23日) 淵田充氏の矢数に対し弓術部特別賞 |
49年 | 小笠原清信、白石暁両氏著『詳説弓道』(大修館)発刊(2月) 駒場師範に藤田忠氏 小笠原清信氏著『弓道』(講談社)発刊(11月20日) |
50年 | 全関東学生弓道選手権大会で女子団体優勝 リーグ戦で男女ともⅣ部昇格 小笠原清信氏著『小笠原家弓法書』(講談社)発刊(11月28日) |
51年 | 寺嶋廣文氏主著『本多流始祖射技解説』(生弓会)発刊(2月) 部長に碧海純一氏(4月) |
52年 | 全日本学生弓道連盟会長に武田豊氏 京大戦で久保英夫氏が20射皆中(11月23日)、女子正式競射始まる |
54年 | リーグ戦、男女ともⅢ部昇格 |
55年 | 春合宿で本多流追求の決議 『繹志』22号・寺嶋廣文氏米寿祝賀号(5月25日) |
56年 | 寺嶋廣文氏著『大悲の弓』発刊 第12回全日本学生弓道遠的選手権大会で大宮健氏が優勝(7月31日) |
58年 | 山本光政氏著『対山会弓道講義録』発刊(4月15日) |
59年 | 全日本弓道連盟会長に武田豊氏(5月4日) 寺嶋廣文氏逝去(12月18日) 師範に藤田忠氏 |
60年 | 部長に藤元薫氏(4月) 指導員制度発足(5月) 『繹志』28号・寺嶋廣文氏追悼号(5月25日) 寺嶋廣文師範遺稿集『智慧の矢』発刊 全日本学生弓道選手権大会男子個人で篠田道秀氏が準優勝(8月3日) 寒稽古で篠田道秀氏が11012射(7463中、的中率0・678)を記録 |
61年 | リーグ戦男子Ⅱ部昇格 京大戦男子200射156中を記録(11月23日) |
62年 | 師範に小林静一氏(5月23日) 駒場道場(浩然堂)落成、道場開き(7月19日) 女子部、国公立戦初優勝(6月28日) リーグ戦女子Ⅱ部昇格 松坂奈保美さん東西対抗で20射19中の最高的中で優秀選手に(11月23日) |
63年 | 第1回国立7大学戦女子の部、浩然堂で開催(7月28、29日) |
元年 | 赤門弓友会世話人会発足、初会合(12月21日) | |
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2年 | 女子部、国立7大学戦初優勝 藤田忠氏逝去(9月22日) |
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3年 | 『繹志』34号・藤田忠氏追悼号(5月26日) 都学弓連リーグ戦男子Ⅰ部昇格 弓術部100周年記念射会・祝賀会、記念誌『鳴弦百年』発刊(12月1日) |
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4年 | 京大戦男子200射164中(11月15日) | |
5年 | 本多利生宗家、生弓会70周年記念中央研修会で「明治・大正・昭和の本多流の射手」を記念講演 リーグ戦男子Ⅱ部降格 |
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6年 | 本多利生宗家逝去(7月17日)、長男・利永氏、宗家を継承(7月19日) 全日本学生弓道選手権大会男子個人で春田壮彦氏が準優勝(8月7日) リーグ戦男子Ⅲ部降格 |
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7年 | 『繹志』38号・宗家本多利生宗家追悼号(5月20日) 本多利永四世宗家、弓術部宗家顧問に(5月27日) リーグ戦男子Ⅱ部昇格 |
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9年 | コーチ制度発足(5月24日)、代表に小林暉昌氏 第45回全日本学生弓道選手権大会男子団体で初優勝(8月7日、グリーンアリーナ神戸) リーグ戦男子Ⅱ部優勝、対早稲田大戦で139中を記録(10月19日) |
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10年 | 池田拓郎氏著『大玄射法大意』発刊(5月1日) 『繹志』41号・全日優勝記念号(5月28日) 第46回全日本学生弓道選手権大会男子団体で4位、射道優秀賞(8月13日) リーグ戦、男女ともⅡ部優勝、Ⅰ部昇格 京大戦男子200射158中(11月15日) |
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11年 | 弓術部「皆中賞」規定、赤門弓友会世話人会で決定(1月29日)。10年度から適用 リーグ戦男子Ⅱ部降格 |
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12年 | 本多利永宗家、弓術部宗家師範に(5月27日) リーグ戦女子Ⅱ部降格 |
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13年 | 部長に横山明彦氏、赤門弓友会長に寺部孝平氏(5月26日) リーグ戦女子Ⅱ部優勝、Ⅰ部昇格 |
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14年 | 『繹志』45号・寺嶋廣文論(5月23日) 本多流四世宗家襲名披露射会(11月30日)。東大0Bが鳴弦を奉納 リーグ戦女子Ⅱ部降格 |
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15年 | 白石暁氏著『うまくなる弓道』(ベースボール・マガジン社)発刊(4月25日) 全関東学生弓道選手権大会、男子団体で準優勝(6月22日) 『本多流弓術書』(生弓会)発刊(8月23日) リーグ戦女子Ⅲ部降格 |
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16年 | 最高裁判事・梶谷玄氏が父・丈夫範士の所蔵矢を寄贈(7月11日) 小林静一氏逝去(9月14日) リーグ戦男子Ⅲ部降格 |
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17年 | 『繹志』48号・小林静一先生追悼号(5月25日) 師範に小林暉昌氏(5月28日) コーチ制度を改組、指導・研究グループ発足。幹事に多々良茂、木本将徳両氏 全日本学生弓道連盟6代目会長に坂東邦彦氏(9月1日) リーグ戦Ⅲ部男女優勝 |
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18年 | 全国大学弓道選抜大会、男子ベスト4(6月25日) 指導・研究グループを中心に東大本多流射法研究会発足(7月29日) リーグ戦3部男女とも全勝優勝(10月15日)。ともにⅡ部昇格(10月29日) 京大戦男子200射164中の的中タイ記録(11月12日) |
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19年 | 『繹志』50号記念発刊(5月26日) 都学弓連女子記録会呂佳叡さん3位(40射33中) 富所修氏、全日本弓道連盟の全国弓道大会・有段者の部で優勝(5月4日) 『繹志』50周年記念号(5月)ビジュアル弓術部今昔、弓術部の過去・現在・未 来、の座談会など特集 「本多流射法研究会」が「本多流射法要綱 剛健典雅の世界を探求する」を作成。 『繹志』掲載の上、抜き刷りで販売も 7大学戦男子優勝(8月28日)、女子個人鴨川まりさん優勝 髙木家が利實翁と髙木棐氏の弓各1張を寄贈(10月)掲額式(20年5月25日) 「皆中賞」を拡充し「表彰規定」を改定(12月) リーグ戦男子Ⅱ部優勝 |
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20年 | 国公立戦、6度目の男女制覇(5月18,25日) 女子、リーグ戦1人20射の80射戦に |
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21年 | 「本多流研究講座」発足(3月14日) 『繹志』52号に講座の報告と利永宗家師範の講演内容 赤門弓友会長に川田晃氏(5月30日) 国公立戦男子優勝 赤門弓友会道場整備基金を設立(7月19日) 本多利永宗家、全日本弓道連盟創立60周年記念式典で特別功労表彰(10月17日) | |
22年 | 赤門弓友会長に藤田宙靖氏(5月29日) 東大鳴弦、40周年記念演武(5月29日) 『繹志』53号 「本多流研究講座」特集(5月29日) 『弓道7大学戦半世紀』を発刊 東大が中心になって編集(7月) 7大学戦女子個人高橋朋子さん優勝 リーグ戦女子Ⅲ部降格 | |
23年 | 本多利永宗家結婚祝射会(2月19日育徳堂) 東日本大震災。土善旅館で合宿中に被災、公民館に避難(3月11日)、12日帰京解散。育徳堂など道場の使用禁止 『繹志』54号 本多流研究講座2年目特集。 59回全日本学生弓道選手権大会の矢渡で、成田定治委員長ら4人全員が本多流体配で行い注目を浴びた(8月9日) 7大学戦男子個人小川将平氏優勝(8月27日) 京大戦、4年連続の男女勝利(12月3、4日) | |
24年 | 浩然堂の巻藁練習場竣工(3月13日) 都学弓連百射会瀬能高志氏3位86中 国公立戦、7度目の男女優勝(5月13、20日) 7大学戦で丸山祐里枝さん、瀬能高志氏が男女個人優勝(8月24、27日) 国公立戦男女優勝 リーグ戦女子Ⅱ部昇格 | |
25年 | 『繹志』56号(5月)弓術部120年史「剛健典雅の射」が旗印 国公立戦男女優勝 全国大学弓道選抜大会、男子ベスト8に(6月30日) 全日本学生弓道選手権大会予選で男子17中を記録(8月20日) 7大学戦女子優勝(8月25日)。女子個人藤沢祐未さん優勝 全日本学生弓道連盟7代目会長に那須弘平氏(9月1日) 『鉄石相剋一世紀 東京大学京都大学弓道定期戦』を発刊(11月) 京大戦男子10連勝(12月1日) | |
26年 | 瀬能高志氏に赤門弓友会特例表彰(2月22日)皆中賞9回、最優秀賞2回、
優秀賞3回 4月 弓友会員、千人を突破 赤門弓友会長に岡本芳郎氏(5月17日) 『繹志』57号(5月)特集・碧海純一元部長を偲ぶ 国公立戦、男子3連覇(5月18日) 50年間夏合宿の世話になった白馬・柏屋が、地震で全壊(11月22日) | |
27年 | 都学弓連百射会鈴木暁氏準優勝86中 『繹志』58号(5月)震災被害の柏屋合宿所特集 夏合宿は白馬村深空・民宿やまいちのみそらの弓道場で開く 那須学弓連会長が全弓連副会長を兼任(9月祝賀会) | |
28年 | 7大学戦女子優勝(8月28日) 個人男子で古田蒔人氏優勝 | |
29年 | 『剛健典雅 百二十五年 東京大学弓術部の歩み』発刊(1月) 第29回全国大学選抜大会には10年ぶり男女出場。男子予選で20射17中の 快記録(6月24、25日) 7大学戦男子優勝(8月28日) 本多利實翁没後百年記念射会(9月9、10日) 弓術部は東大鳴弦を奉納 弓道本多流史上巻『朝嵐松風 本多利實伝』(小林暉昌氏著)を発刊(11月) | |
30年 | 『繹志』61号(5月)利實翁没後百年記念特集 | |
31年 | 全日本弓道連盟副会長に波江野弘氏 |
元年 | 弓道本多流史下巻『洗心日新 本多流の百年』(小林暉昌氏著)を発刊(5月) 本多流研究講座が『新釈日置流竹林派本書』を発刊(12月) リーグ戦男女Ⅱ部降格 | |
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2年 | 新型コロナウイルス拡大、部活禁止など苦難を乗り切る 「Withコロナ義援金」は150万円を超す支援が集まる 赤門弓友会長に阿久津光志氏(6月) 京大戦男女ともオンラインによる対戦に(12月5、6日) | |
3年 | 『繹志』64号(6月)コロナ禍の部活動特集 7大学戦女子優勝(8月24日) リーグ戦Ⅲ部男女優勝(9・10月) | |
4年 | 部長に岩田覚氏(4月1日) 国公立戦男女優勝 7大学戦男子個人園部哉太氏優勝(8月26日) リーグ戦Ⅲ部男女全勝優勝、入替戦男女勝利Ⅱ部昇格(10月29,30日) 京大戦、男女1日で行射終了の新方式、男女勝利(12月4日) | |
5年 | 洗心洞髙木道場、国の有形文化財として登録、告示(2月27日) 全日本弓道連盟副会長に安在宏明氏(5月) 師範に宮下敏行氏(6月1日) |